私と坂爪勝幸氏との出会いは、12年前ニューヨーク市で始まり、それ以来のつきあいである。
私は出会った瞬時に、彼の芸術家としての溢れんばかりのエネルギーと優れた才能、そして哲学者のような知性に魅了された。
私達は、陶芸家、彫刻家、画家達が、未だ見ぬ芸術という名の荒野を求めて、土の新しい可能性に向かって徹底的に掘り下げ歩んできたこの40年間に、陶芸家が何をなし得たかを論じ合った。
過去から現在までの私が目にした坂爪氏の作品全体に如実に現れているのは、かつて彫刻や絵画が絶対的価値観を伴って芸術の思考のプロセスを刺激する機能を有してきたのと同様のものである。
坂爪氏は、まさに円熟した芸術家であると同時に工芸家である。
彼の作品は、芸術と工芸が一つであり同一のものであることを実証している。
彼の作品は、日本古来の文化と伝統に深く根ざした物でありながら、なおかつ西欧人の心にも直接訴えてくるものを持っている。
これは、彼の最もシンプルな茶碗やその他の器のみならず、意志をもって無機的な作品群として系統化され、又その一方でトーテム的に存在を象徴化された作品群にも同様のことがいえる。
私のイメージの中で後者は、明確にまるで古代埴輪時代の屈強な泥の兵士を思い起こさせる。
それと同時にこれら大きなハードエッジの陶のフォルムは、ここ数十年来のヨーロッパ、アメリカの実力派、ドナルド・ジャッド、ロバート・モリス、カール・アンドレ等の初期の彫刻作品や画家のマーク・ロスコ等の作品を思い起こさせるものである。
坂爪勝幸氏は、驚くほどのエネルギーと力量を持った創造的な芸術家であり、知性あふれた人々に幅広く心に訴える力を持っている。
米国に滞在中、彼は自己の芸術と人生の哲学を、寛大さを持って数多くの芸術家や学生に達と接し、ともに共有することで、彼らに大きな影響を与えた。
そしてまた、坂爪氏の築窯の妙技はまさに卓絶したものがあり、それは稀にみる驚くべき優れた技術である。
そして、その構造は、単に偉大な美と用のオブジェであるばかりでなく、そのもの自体が明確な意志と意図を持った力強い彫刻表現の建築作品とも呼べるものである。
坂爪勝幸氏の陶壁と鉄の壁、それに加えて、自立し林立するモノリス(巨大な一個の陶で出来ている造形物)は、東洋と西洋の創造的思考の隔たりを埋める橋の様であり、彼の思考はあらゆる可能性を見つめて、精神的次元へと超越するかの様に見える。 |