こんな体験を礎にして、現在、故郷の新潟でこの作者が狙う焼締め陶は、「オーガニック」(有機的)なやきものと対局にある、やはり焼締め陶なのだ。もちろん新潟県北蒲原郡には、特に良質な陶土も産出しないし、歴史的な陶業地もない。この地に居を定め、焼締め陶を作る人がいる。坂爪勝幸氏が焼締めをはじめるきっかけは、大学を卒業後、九州の諸窯を転々と歩きながら修行していた青年時代に遡る。轆轤の腕も上達し、多少の自信もできた生意気盛りの頃だった。
風のたよりに唐津焼で著名な中里隆氏が種子島に穴窯を築窯し、南蛮焼(南方の無釉焼締め陶)を焼いていると聞いた。「行ってみると、あんなの焼いてどうするのだろうと思うようなものを、窯に入れて焼いているんです。ところが、焼かれるとそれが見違えるようになる。信じられなかったですが、ものすごくいい。大変なショックでした」焼いた後に、窯から生き返って戻ってくるようなやきものに、強い衝撃を感じた。そして焼締め陶に、一気に傾倒していったのだ。
やがて、国際交流基金からアメリカに派遣され、ニュージャージー州立芸術教育センターの客員教授として赴任し、同地に鎌倉期の穴窯を復元した。このことが、アメリカにおける薪窯ブームの端緒となり、また米国陶芸界の巨匠で、”カリフォルニアのピカソ”といわれるピーター・ボーカス氏らとも親密に交わり、ともに作って相互に刺激を受けた。
7年間におよぶアメリカでの生活が、ものを作る姿勢やセンシビリティーを育んだ。そして、それらを土台にして築かれた坂爪氏の焼締め陶の主体は、花入、水指、茶碗などの茶陶である。といってもビードロや緋色を狙うのではなく、素地と一体化した鉄錆のような赤黒い焼き肌に特徴がある作品群だ。また造形的には、意図的な激しい歪みは伴っておらず、どちらかといえば端正な形。そんな乱れのない堂々とした立ち姿に、焼成による鉄錆色と、金属的な硬質感が付加されることによって、泰然自若とした見事に個性的な焼締め陶作品にまで、高められていると感じる。
「アメリカの陶芸は、オーガニック(有機的)に作るのをよしとしますが、僕は土を土っぽく強調したくない。できれば手跡も残さないように成形したうえで、焼くことによって有機的な作品に仕上げたい」遠い昔に見た南蛮焼のように、焼成によって土らしさを引き出し、土が生きているように焼くには、やはり穴窯でなければならない。また、器作りの一方で、シャープに角張った幾何学的な造形作品を焼き、インスタレーションとしての発表も続けてきた。当然、土を穴窯で焼くからこそ得られる効果を意識して制作されており、茶陶と同じ振幅の内側に置かれたこれらも、自立した陶芸作品といえる。
「精神的なものとして耐え得るならば、どんな形をしていても、僕は一緒だと思います」精神的なもの・・・?
この新潟の地で伊賀土を使い、穴窯を用いて”自分だけの”焼締め陶を作ろうと決めたのは、作者自身に他ならない。ならば自らの心の不安、揺らぎ、あるいは安らぎや躍動を、個人的な営為として陶に映す作業を自覚しているはずだと思った。とすれば、ここにいう精神とは、坂爪勝幸氏そのもののはずである。
(編集部:森下)
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